地域公共施設の木製化研究
一築後90年の木造校舎の調査事例から一
豊田修身・佐藤幸志郎・寺賓名直美 日田産業工芸試験所
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Hi t aI ndus t r i al År t Res ear ch Di vi s i on要旨
地域の公共施設の木製化を推進することを目的として,木造校舎のデザインを調査研究した.木材と木製品の町である
日田市とその周辺地域に集積する家具,建具,木履,工芸といった多様な木の技術を,近年潤いのある教育環境として見
直されつつある木造校舎の中にもっと生かしていきたい,つまり,多様な木の技術の連携をはかって公共施設の中の木の
空間作りをもっと積極的に提案をしていこうというのが主たる目的である.昨年度は現状を把握するため県下の木造校舎
を実際に訪ねて教室,廊下,特別邑 お手洗いなどを調査して記録すると共に写真にも収めた,今年度はその調査を継続
して「木造校舎が教えてくれたこと」という研究レポートを作成すると共に,築後90年になる国見町の岐部小学校を重
点的に調査して,木造の校舎が地域の木の技術を高めて産業を活性化させ,地域を魅力あるものにしていることを明らか
にすることを試みた.以下研究のポイントをおいた岐部小学校の事例を中心に報告する.
1.はじめに
国見町の岐部小学校は明治32年と43年の校舎が今
も健在である.昭和10年に移築されるという経緯を含
めて90∼100年の歴史を刻む校舎が,現在も美しい
姿で建っており,地域の誇りとなっている.昭和10年,
現在地に新しく建った校舎も含めて3つの立派な校舎
が建ち並ぶことになるが,校地の整地作業は地域の人た ちが総出で行ったそうであるし,その当時から,子供達 は始業前に長い廊下の雑巾がけをすることが日課になっ
ていたという程,子供も教師も,そして地域の人たちも 校舎に寄せる想いは相当に強いものがあったようだ.風
景に溶け込みながらもどっしりとした存在感を持つこの
木造校舎のどこに長持ちの秘訣があるのか,また,使い 込む程良くなる木の建物や木の道具を当時の人たちはど
のような視点で設計していたのかを,構造やレイアウト
などの実測調査を通して調べていきたいと考えた.主
に「素材」と「技術」と「デザイン」の視点から調査
したので,それぞれについての報告を中心に述べてい くが,まず,学校の全体像を掴んでいただくために背
景から記していきたい.
2.岐部小学校の背景と調査結果
2.1国見町と岐部地区について
岐部小学校のある国見町は,大分県の東側に丸く突き
出した国東半島の北部に位置する.瀬戸内海に面した温
暖な気候で,町の地形は半島の頂きにあたる両子山を中
心に北側に放射状に拡がっている.東西の山に守られる
かようにいくつかの集落があり,その一つが岐部地区で
ある,国見町は人口6000人弱で,町の産業は,農業,
林業,そして海岸部では水産業が主体である.瀬戸内の
海に面した風土は校舎の主な構造材になっている松が育
つのに適していたようであるが,今はマックイムシの被
害などで広い松林を見ることはできない− 高台から集落 を眺めると海岸部から少し入ったところに風景に溶け込
むように岐部小学校の校舎が建っており,集落の中心的 な位置に学校があることがよくわかる.
2.2 3つの校舎について
校門となる立派な石造りの門柱を抜けると運動場を
囲むように体育館と3つの校舎がある.正面の玄関を
持つ建物は昭和10年新築の校舎で築後約6:う年であ
る.右に建っている「北校舎」と言われる建物と左に Fi g.1築後90年の岐部小学校「南校舎」
のないものに変わっている他は,外観は当時と大きく
変化してないと考えられる.(Fi g.1&3参照) 3つ目は現在,校長室,職員室及び高学年生の教室
として使われている昭和10年新築の校舎である.す
っきりとしたデザインで65年前に設計されたことを
感じさせないものである.窓の部分までの木の板の壁
とそれから上の白壁,そして瓦屋根がバランスよく目
に入ってくる.。(Fl g.4) 建っている「南校舎」と言われる建物は,それぞれ明
治32年と43年に現在地から500m程のところの
梨畑というところに建てられた校舎を移築したもので
ある.
まず,築後100年を経る「北校舎」であるが,昭
和10年の移築の際に全体の広さを変えずに,教室を
文部省の指導する規格に合わせて4軒×5軒の間取り
にして配置している.隣に幼稚園を建設するなどの際, 一部を取り除く改修もしているが,柱に見られる「ほ
ぞ穴」や「こみ栓」の跡等から明治,大正,昭和,平
成と使われてきた学校の歴史を感じる建物である.
(Fl g.2)
Fi g.4 昭和10年築の玄関のある校舎
3つの校舎それぞれに木の加工方法やデザインが異
なっておりそれぞれ比較すると時代と共に変化する木
の意匠を追うこともできるが,今回は「南校舎」とい
う築後90年の校舎の実測調李から学んだ先人たちの
木の使い方の知恵を「素材」と「加工技術」と「デザ
イン」に分けて詳しく報告する.
2.3 南校舎の素材について
・「南校舎」は裏から見るとお寺の建物のように見え
る.広い瓦屋根とそれを支える太い柱,周囲を覆う 板壁等からそう見えるのであろう,がっちりとした Fi g.2 明治32年築の「北校舎」
次に今回の調査で重点を置いた建物の「南校舎」は, 明治43年に梨畑に新築され,昭和10年に現在地に
そのまま移築された建物である.高い屋根や長い間の
風雨で落ち着いた黒みを出している外壁の南京下見等
のしっかりとした造りに明治の人たちの意気のような
ものを感じる校舎である,南側の窓がサッシに変わり, 一部南京下見が修繕のためか幅の狭い板になり押さえ
Fi g.5 「南校舎」矩形図
造りは,床下や天井裏を見てみるとよくわかる.太
い松材がトラス状に力強く組まれている.松脂がし
っかりとにじみ出た様子を見ると脂分の多く含んだ
ねばりのある松材を選んで使っていたであろうこと
が推測できる.この材料を肥松というが,これは樹
種を指すのではなく,赤松や黒松の根元に近い部分
の脂をよく含んだ材をいうのである.瀬戸内にはこ
の材が多く産出され,高松周辺では肥松で作った茶
托や菓子器が使い込む程に味が出る木の器として高
い価値が認められている.瀬戸内の風土が育てる地
域の素材をうまく活かしているといえる.床下も松
材が根太や大引に頑丈過ぎる位の太さで使われてい
た,(Fi g.6)
また,床下等では,今の製材方法では切り落とされ
るような表皮部分もうまく木取りして,材をほとん
どを無駄なく使っていることは感心させられた.校
舎の素材全体を見ると適材適所に木材,石,土,瓦
等が使われている.つか石は近くの海岸から運んで
きたのか貝殻が付着しており,「地域の建物は地域
の素材で」ということをよく語っている.
Fl g.6 床下の松材
2.4 木の「加工技術」について
まず,「木の加工技術」で取り上げたいのが,壁
面の全体を覆うように取り付けられている丁寧な加
工の南京下見の板壁である.杉材による下見で,八
寸幅の広い杉板を軒下まで張り,押さえ材で板を押
さえているのであるが,この押さえが直線でなく円
弧のラインになっているのである.(Fl g.7) 下の
板をしっかり押さえるためと推測できるが,杉板の
暑さをやわらげ,梅雨時のじめじめ感を少なくするこ
とによって建物も子供も共に健康に過ごしてほしいと
いう思いからと考えられる.
次に,板壁や窓の軒等の外に面した部分にデザイン的
な配慮がなされていることが挙げられる.それは外観を
良くすることもあるが,風雨から建物を守ることに意を
注いだことの証でもあろう.例えば,建具の技術で作ら
れた木の窓は風雨で痛みやすいので,窓の上に十分な幅
の板の軒を出して直接雨が当たらないようにしている.
今ではサッシになっているが校舎の長持ちの秘訣はこん
なところにもあるのかもしれない.(Fi g.9) Fi g.7 丁寧な加工の下見
表面が柔らかなしなりになっていて見た目も美しい.
江戸時代からある技術らしいが,大工さんの心意気を
感じる.それと床材や廊下等の腰板の板等が様々な幅
であるのも面白い.材を余すところなく使っているか
らであろうが,変化に富んだ空間になるし,材に無駄
がない.よく考えてみると効率一辺倒でサイズの決ま
った規格材ばかりを作る現在の木の使い方がある意味
で誤っているのかもしれないと気付かされる.それと
全体的に柱や加工部材が多少野暮ったいと感じる位に
太いのである.隣にほとんど同じ高さで並ぶ昭和10
年の校舎を比較してみると良くわかる.(Fl g.8)
スマートで効率的な加工はしていないが,頑丈で力強
さを感じる加工になっているといえる.特に,「北校
舎」の屋根と天井を支えるトラスの縦材と横材の接合
が蟻溝になっていたのには驚いた.当時はそうするこ
とが一般的であったのだろうが,大工さんの手の暖か
みを感じた.
Fi g.9 窓を守る軒の板
また,現在に通じるデザイイと思われるのが,講堂や
体育館を別に作る余裕のない時代に建てたからでもある
が,3つの教室の間の2つの壁が板仕切りになっていて
それを外せば,簡単に講堂のような広いスペースがとれ
るような工夫がされていた.戦前の校舎でこうした設計
はいくつもあったらしいが,このような工夫はこれから
の木造校舎にも活かしていきたいものである.
そして,この岐部小学校校舎のデザインの最も優れた
点は,デザインコンセプト(基本理念)が明確であった
というこ とであろう.というのは,明治8年に岐部尋常 小学校としてスタートするが,当時は胎蔵寺というお寺
が校舎となっていたので,地域の人たちが誇りの持てる
校舎を建てようと意を結集し,明治23年に建築の議が
起こり,「眺望絶佳,空気流通完全,土地乾燥,飲料水
佳良,樹木林立,太陽照射適度,夏涼冬酪 校舎以外充
分の運動場を有す」校舎を建てようと共通の理念を確認
するのである.そして,それを実現すべく何回もの協議
を重ね,その結果としてすばらしい校舎が完成している.
落成にいたるまで紆余曲折があったようだが,この経緯
を見ていくと,校舎のデザイン作業の中には,地域の人
たちが一緒に思いをまとめていく,そのプロセスが大き
く含まれており,そこがまた大切なデザインであるとい Fi g.8 明治の校舎(左)と昭和の校舎
2,5 校舎の「デザイン」について
この校舎のデザインの特徴をいくつか取り上げると
う気がする.地域の学校は地域の人たちの思いが込めら れてこそ良いデザインになるのではないだろうかと思っ
た.
3.考察
小規模校を除いてすべての県内の小中学校が戦後の建
築であることを考えれば,岐部小学校は「よくぞこれまで 長持ちを」と思わずにいられない.これまで「築後90年
の木造校舎が何故,健在なのか」という問いを自らに投げ かけながら調査を行ってきた.前項で記したいくつかの要 因を浮かびあがらせることができたが,分かりやすく結論 付けるとすれば,「明治の優れた建築デザイン」と,地域
の人たちが長年,学校運営や校舎改修に関わりながら築い てきた,温もりのある「学校と地域のデザイン」がきちん とあったからであろう.つまり,明治の人たちの気風が感 じられるがっちりとした造りの木造校舎であったことと, 学校を地域の財産と考えて大事に育ててきた地域の人たち
の暖かい支えがあったからであるともいえる. 今でも凛とした姿で建つ校舎であるが,残念なことに
平成12年3月に閉校になった.閉校は寂しいことである
が,築後90年の建物は改修されて,4月からは地区の集
会場として新たな地域との関係を築いていくことになった. 「残った校舎」が,これからも先人たちの貴重なメッセー ジを発信し続けてくれることを願っている.
なお,研究レポート「木造校舎が教えてくれたこと」 は下記のホームページをご覧下さい .
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